寿司なび 11月1日(土) 戦前の過ちはきちんと総括され反省されているのか−横浜事件の再審開始決定 ─────────────────────────────────────── 拙著『労働再規制−反転の構図を読みとく』(ちくま新書)刊行中。240頁、本体740円+税。 ご注文はまたはまで。 ──────────────────────────────────────── 今日から11月。木枯らし1号が吹く中、一橋祭の講演に行ってきました。国立駅から一橋大学への歩道には出店が並び、「大学祭がここまで進出しているのか」と思いましたが、そうではありません。地域の「天下市」という祭りです。
私の講演の前に東京大空襲を描いたビデオが上映され、作家の早乙女勝元さんが戦争体験について話をされました。早乙女さんのお名前は学生時代から知っていましたし、『わが街角』などの小説も読んだことがありますが、お会いするのは初めてです。 一昨日に訪れた「ピースおおさか」の図書室にも、早乙女さん執筆・編集の本が沢山ならんでいました。その早乙女勝元さんとの「共演」ですから、いささか緊張しました。 会場には、50人ほどの方が見えておられました。熱心に話を聞いていただき、お礼申し上げます。
さて、昨日の夕刊に、横浜事件の第四次再審請求についての記事が出ていました。拷問を受けたなどとする元被告の口述書などについて「無罪を言い渡すべき明確な証拠である」として再審開始が決定されたというのです。 これは、私にとっても嬉しいニュースです。というのは、この問題には少なからぬ縁があるからです。 原告の小野新一さん(雑誌『改造』の元編集部員である故小野康人さんの次男)は法政大学の職員で私も良く知っている方です。各紙の夕刊に大きく写真が出ていて驚きました。
この事件は神奈川県警察部特高課による戦時下最大の言論弾圧で、「共産主義を宣伝した」などとして、雑誌編集者や新聞記者など60人以上が治安維持法違反容疑で逮捕・拷問され、4人が獄死、1人が保釈直後に死亡、傷害を負った者は32人を数え、雑誌『改造』『中央公論』は廃刊になっています。30人以上が起訴されましたが、ほとんどが終戦直後に執行猶予付き有罪判決を受けました。 問題となったのは『改造』に掲載された社会評論家細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」で、「共産主義を啓蒙した」とされました。また、細川が郷里の富山県泊町の料亭旅館「紋左」に、世話になった編集者などを招待して開いた宴会の記念写真が、日本共産党再建のための謀議の証拠だとされたのです。 この細川嘉六は、実は大原社会問題研究所の元研究員でした。細川は1920年に大原社会問題研究所に入所し、「米騒動資料」の収集などを行っています。これは、米騒動に関する新聞雑誌記事や論説、裁判記録、郡役所資料などを集めたもので、この種の資料としては有数の貴重なコレクションですが、現在も研究所に保管されています。
共産党再建のための準備会合の証拠とされた写真には、細川を中心に7人の人が写っています。皆さん浴衣姿で、記念写真を撮ったわけです。 これだけでも、共産党再建のための会合ではないということは明らかでしょう。当時の共産党は非合法ですから、そのための秘密の集まりなら、浴衣姿で記念写真を撮るなどということは100%あり得ません。 しかし、当時の特高警察はむりやり事件をでっち上げ、取調官が拷問によってそれを認めさせたのです。裁判官はろくな審理もしないで直ちに追認し、罪をかぶせました。 その経過を示す裁判資料は、敗戦のどさくさに紛れて処分されてしまいました。このような経過は、誰にでも容易に想像できることではありませんか。当局によって事件をねつ造され、無実の罪を着せられた人々の無念はいかばかりだったでしょうか。
この無実を明らかにし、その無念の思いを晴らすために、何度も再審請求が行われてきました。今回が第四次ということになります。 これほどの明白なえん罪が、これほどの長い時間をかけてもなお晴らすことができないとは、一体どういうことなのでしょうか。戦前の暗部を清算できない戦後のあり方は、戦後史における新たな暗部を形成しているというべきではないでしょうか。
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